赤信号

 

赤信号だっての。

 

 ここでまず整理していきたいのだが、毛利伸の故郷は山口県の小京都である。

 そして、伊達征士が宮城県。仙台だが広い剣道場あるような環境だったらしい。……郊外なのだろう。

 秀麗黄が神奈川県、横浜の中華街だ。

 そして羽柴当麻が嫌いなものが巨人ファンである程度の大阪、真田遼が、山梨で虎と暮らしていても近所から苦情を言われた事のないような環境。

 

赤信号だっての!!

 

 まあ考えてみれば当たり前なのだが、人の道以前に、彼らは道路交通法レベルで“常識”が違った。

 伸は、深夜で人影も車の影も見えないような環境ならこっそり赤信号を渡ってしまうらしい。

 征士は何があっても赤信号は赤信号。“みんなで渡れば恐くない”なんて考え方は断固として認めない。ただし、自分の正義を貫く場合はそちらを優先する。

 秀は、その場その場の状況を読んで柔軟にケースバイケース。何しろ華僑、超多国籍。今で言うなら“空気が読め”なければ生き抜けないのだ。

 当麻は、ここまでは理解できた。

 そして当麻自身は車が通っていようがいまいが“自分が”危険がないと判断したら赤信号を渡ってしまうタイプである。

 そんな自己中心的な当麻よりももっと自己中心的な道路交通法違反者が、烈火のリョウであった。

 

 結論から言おう。

 

 遼の生育環境には信号がなかった。

 

 話をよくよく聞くと、電気があったかどうか怪しい。

 テレビはとりあえず村らしき共同体に一個はあるが、ここ数十年の間、ほとんどつけられたことがなかったらしい。

 何でも、テレビを買った家で共同体中の人間がぎっしり詰まってさあ見ようと思った瞬間、力道山(プロレスラー)の超大技が流れ、ばあさんが発作を起こして瀕死に陥ったのだ。以後、テレビは無意味にタブー視されている。

 ラジオもある事はあるが音質が最悪で局番も少ない。

 そんな訳で、ピアノは見た事なかったし、勿論バーなんてなかった。あったのは五人組の寄り合いだ。(女だったらお針の会)

 朝起きたら白炎をつれて二時間ちょっとの散歩道だ。征士よりも早起きだ。

 ピアノがないんだから勿論ギターもないし、それよりも近代的な楽器・音楽関係なんぞない。レーザー・ディスクはガイ○ンだ。

 回覧版と紙芝居が回ってこなかったらそれが所謂・真の意味での村八分。

 周囲の大人(お爺さんお婆さん)はそりゃ熱心に、毎朝毎晩、数珠を握ってお天道様を拝んでいたらしい。

 本当にタタリ神が出るのかと思って、一応、鎧の宝珠なんぞ握っている人間として聞いてみると、牛が出てきた。

 別に東京で一旗上げて(べご)引きに来たわけではないらしい。

 暴れ牛がたまに出て、公民館から村内放送がかかるらしい。

“仲森(屋号)の太郎(牛)が逃げました!柴崎(屋号)の方に走っています!村の若い衆は至急……!”

 というような放送を年配の者がスピーカーで叫び、野良作業をしていた若い(と自分が思っている)野郎どもは農具を捨てて暴れ牛を追いまわす。それは、タタリなどではなく、意中の女に対して男を上げるいい機会だと彼らは思っているため、内心大喜びで超必死だ。

 お前らいっそ、スペインに行ってマタドールと対決してこい、と当麻は思う。

 まあスピーカーで村内放送をかけるのだから、電気は一応、通っているのだろう……。

 そして電話があるにしても大体一世代前のものでガスは瓦斯と当て字をするような状態で、バスは一日一度来るような場所だったから、―――可能だったのである。

 霊虎・白炎と十代の少年が一緒に暮らしていても誰も何にも言わずにすんなり受け入れる事が可能だったのだ。まずまずよしよし事なかれ、昔ながらの村落共同体の理詰めじゃ解決できない(当麻にはよく分からない)何らかの無言の圧力的かつ現実的合理的なモノが働いたが故、何のトラブルも起こらなかった。
“皆仲良し・心中も一緒”……

 

 

 

 よって遼は何の疑問も持たずに白炎つれて新宿にとことこ出てきてしまったのである。

 勿論、赤信号は無視して。

 だって見た事なかったのだ。赤信号。

 そりゃ走り出すだろう、赤信号。

 それは人の道とか道路交通法以前の問題である。

 無邪気なる無知ほど恐いものはないのだ。

 

 

 

「赤信号だっつのー!!!」

 公正なるくじ引きの結果、遼に道路交通法を教える係は当麻に回った。

 真を知りつつ人の道を説く者としての見地、そして大事な仲間である本人の身の安全を見地からも、遼は赤信号に突進してはならない。

(日本って実は広いんだな……特に田舎はあらゆる意味で広いんだな!)

遼に信号の使い方を教えながら当麻は怒りながらも感心する。

大阪から見れば宮城も田舎だ。東北地方、真上に人口密度が本州で唯一100%に満たない某県があるような状況で、奥州の覇者伊達政宗の子孫、更に父親がキャリアの警官であるために遼とは別の意味で“なあなあ”と“睥睨”を上手に効かせて既に自動車の免許を取った征士と遼は道路交通法への意識が全く違う。

 一応、当麻は道路交通法というものがこの世にはあって、という段階から説明をはじめたのだが、そのとき遼はキョトンと眼を瞬いてこう言った。

(ドーロ・コー・ツーホー……)

 少しの呼吸を置いた後、彼は首を傾げてこう言った。

(東南アジアの食べ物?)

(ナンデヤネン!)

 大阪出身天才少年でありながらもそんなベタなツッコミしか出てこない。

だがそれは、“何それ美味しいの?”“まだ食べた事ありません”などの定型文ではない以上、ボケではない事も理解していた。

 もちろん、天才である当麻。道路交通法は第一から第九章まで全て暗誦できる。だが、それを遼に最初から説明しても無意味である事はもう分かった。

 よって、まずは実践というところから入ったのである。

 小田原の繁華街へと出て、信号の説明から始めてみたのだが、よく分からない事を言い出す。

「何で、赤が止まれなんだ?」

「は?」

「俺は、赤は進めだと思う。」

「……何で?」

「だって赤は赤いから。」

「赤が青かったら大変な事だろう!」

 まあイメージの問題らしい。

 赤は『危険』ではなくて『勇敢』や『前進』といったパターンとして遼は認識しており、まして自分の鎧の色なものだから赤→『危険だ止まれ』というパターンは理解出来ないし文句が言いたくなるのだ。

 それを何とか言い聞かせて赤→止まれだとして、まず前置きしておく。

「黄色はカレーじゃないからな?」

「……何でカレーなんだ?」

「いや、なんか遼のイメージだと……黄色はカレーじゃないかと……」

「黄色は金持ちの色だ。」

「は?」

「金持ちの田圃の色。」

「……小判と稲穂か。……なるほど、よく分かった。」

 信号機のある交差点の前で、当麻は引きつり笑いを浮かべながら遼の肩にぽんと手を置く。

「お前、サッカーやるよな?遼。」

「うん。」

「これは、イエローカードの黄色だから。ヘタすりゃ罰金取られるから。勿論、お前、稲穂の実る田圃の真中でサッカーやらないだろ?そういう色だから。」

「………」

 遼は怪訝そうな顔で当麻を見上げる。そして歩道から車道を指差した。

「ここ、広くて、整備されて、線引いてあるけれど。」

「うん。まあ、そうだな。」

「サッカーしていいのか?」

「違うから!全然違うから!!」

「でも、なんか俺の近所の砂利道や畦道よりも広々していて丈夫そうでフェンスがなくて、ボール蹴ったら楽しそうだな。」

「やめろ!やめてくれ!!」

 そんな、いまどき小学生もやらないような事を言い出されて、当麻は絶叫する。

「いいか、遼、横断歩道で通っていいのは、青信号だけだ!まず、青を覚えろ。信号が青になったら渡るのが、現代の道を歩く者の常識だー!!それ以外は全部ダメだ!道理を弁えて道を渡れー!!」

「……え?」

 遼は困った顔をする。

「でも、俺は、青の方が“止まれ”だと思う。」

「何で!」

「いつも、ダメだとか、行くなとか、鎮まれとか、そういう事ばっかり言うのは征士と伸と当麻だ。青と緑がそういう性質なんだと思う。」

「……それとこれとは違うから。」

「あ、そういえば、当麻は違うか。」

「……なんだよ。」

 そう言うと、ニッコリ笑って、遼は、今度は当麻の顔面を指差した。

「“中央突破”」

「……………」

 天下の公道をそういう渡り方してはならないというのを一体、どう教えればいいのか、IQ250の天才様は心の底から悩み狂った。

 

 

 

 まあ、まず、王道はやった。

 車の方が青で歩道が赤の時に「だって大きい方が青」と突っ走る。

 そんなのは序の口で、右見て左見て、もう一回右見て、前の確認をしないで、もう信号が赤に変わっていても、「さっき見た時青だった」と突っ走る。

 それでも何とか、普通の十字路の普通の点滅する信号の渡り方を二時間以上かけてマスターさせて、今度は信号が多少複雑な点滅の仕方のするところに連れて行った。

 何しろ当麻は諦めの悪い男を自認している。一旦、仲間から「任された」と思ったら、その知性の高さにかけるプライドもあるもんだから、教える事は最後まで教えなきゃ気がすまないのである。

 遼が信号というものを理解するまで。

 赤信号を中央突破しないようになるまで。

 彼は、丸一日潰して教える事を教え込んだ。

 信号機のない田舎から出てきた少年の方も大変だったろうが、それを大阪レベルの信号を渡れるところまで教育した当麻の心労はいかほどだっただろうか……。

 

 

 

 まるで妖邪と三連戦でもした後のような状態で、当麻はよろよろと柳生の屋敷に帰った。

 一方、野生児の遼は―――当麻はもう、彼の事を虚弱体質のお姫様とは思っていない―――元気いっぱいの満面の笑顔で得意げである。

「都会って、面白いんだな!」

(面白いのはお前の頭の中だけだ!)

 リビングのソファにぐったりと横たわりながら当麻は口を開く事も出来ずに遼を見上げる。

「どうしたんだ、当麻? そんなボロボロになって!」

(嫌味か?それは嫌味なのか?嫌味なんだな?遼――――!!!)

 そう怒りに震えるものの、震える以上の事は何も出来ないほど疲れ果てていて、当麻はただソファの上から遼を睨むように見つめるのみ。

 しかし、遼は何か一つの事を覚えてマスターした時の昂揚した嬉しさのままに振る舞って、正にボロボロ状態でソファに横たわる当麻の側に立つと、仁の心そのままのスマイルを向ける。

「ありがとう、当麻。俺、これで一つ、自信がついたよ。」

「ああそうか、よかったな……」

 何とかそんな事をぜえぜえと言う当麻だった。

 それに対して遼ははにかんだように笑い、当麻のうっすらと汗の浮かんだ二の腕に降れる。暑い季節で、二人とも薄着だった。

「なんだかちょっと、大人に近づいたかもしれない、俺。」

「……?」

 何でそんな表現が出てくるのか分からないものの、遼が自分の努力で何か覚えて喜んでいてくれる事は嬉しいので、当麻は疲れたまま笑みを浮かべる。

 

 

 

「ふうん……」

 

 

 

 そのとき、リビングの手前の廊下で、穏やかな穏やかな声が聞こえた。

 二人が外から帰って来た事に気付いた伸が、氷入りの冷たい麦茶を用意して持ってきたのだ。

「大人になったんだ、遼」

 にこにこ

 にこにこ

 笑いながら伸が、近づいて来た。

 当麻に水色と赤色が―――赤信号が、迫ってきた。

 さて、中央突破で乗り切るべきなのか、成層圏まで逃げ込むべきなのか。

 さすがの智将もすぐには応えが出てこない。

「僕の大人も知ってみる?それとも三人で大人になろうか?」

 

 何もそんなに急いで大人になる必要なんてないのだ。あの頃、モラトリアムなんて言葉もあったが……

 

 狭い日本・そんなに急いでどこに逝く











(作者注・地元民として言うが、日本の高度経済成長における偉大なるプロパガンダ、例のスラング演歌はほぼ事実である。就職列車の金の卵たちこそが戦後打ちのめされた日本を経済大国までのし上がらせた訳だが、原点はテレビや電話が村に一台あるかないかの生活だ。また、都市伝説には“1990年代に初めて電気を引かれた村”がある。それこそキャンドル100万本。

 

 

よって甲斐の方々、気を悪くなさらないで下さい。南部氏の祖先は甲斐源氏加賀美氏である以上、当方には悪意も敵意も叛意も何もございません。ちなみに私は幼少のみぎり、村内放送がかかった途端に暴れ牛を見にその屋号の方へ走り出し、祖父にゲンコツ食らって祖母に「この子は丑年だからしょうがないの、この子は丑年だからしょうがないの。」と泣いて庇われた真性のウマシカです。日記に書くべきことかもしれませんがあらぬ誤解は招きたくないのでこちらに書いておきます。)